|
ボーヴォワルは日本を訪れる前に、オーストラリア、ジャワ、シャム(タイ〕、中国と歴訪していたのだが、「日本はこの旅行全体を通じ、歩きまわった国の中で一番素晴しい」と感じた。
その素晴らしい日本の中でも、「本当の見物」は美術でも演劇でも自然でもなく、「時々刻々の光景、驚ろくべき奇妙な風習をもつ一民族と接触することとなった最初の数日間の、街上、田園の光景」だと彼は思った。「この鳥籠の町のさえずりの中でふざけている道化者の民衆の調子のよさ、活気、軽妙さ、これは一体何であろう」と、彼は嘆声をあげている。彼にとって真の見物は、
この調子のいい民衆だったのである。日本人の「顔つきはいきいきとして愛想よく、才走った風があり、これは最初のひと目でぴんと来た」。女たちは「にこやかで小意気、陽気で桜色」。「弾薬入れの格好で背中にのっている」帯は、「彼女たちをちょっときびきびした様子に見せて、なかなか好ましい」。
大師河原の平間寺の見物に出かけると、茶屋の娘二人が案内に立ってくれる。「二人は互いに腕を組んでふざけたり笑ったり、小さな下駄をカタコト鳴らし、紺色の枝葉模様の半纏と赤い腰巻きを小麦と矢車菊の間にちらっかせながら、その漆黒の美しい髪を技巧をこらして高々と結い上げた髭が、爽やかなそよ風に乱れても一向気にしない」。
水田の中で魚を追っている村の小娘たちは、自分の背丈とあまり変らぬ弟を背負って、異国人に「オハイオ」と陽気に声をかけてくる。彼を感動させたのは、「例のオハイオやほほえみ」「家族とお茶を飲むように戸口ごとに引きとめる招待や花の贈物」だった。
「住民すべての丁重さと愛想のよさ」は筆舌に尽しがたく、たしかに日本人は「地球上最も礼儀正しい民族」だと思わないわけにはいかない。日本人は「いささか子どもつぽいかも知れないが、親切と純朴、信頼にみちた民族」なのだ。
二十一歳の若者の感激にみちた感想は、もちろん十分に割引いてしかるべきだろう。だが彼はたしかに誤らぬ事実を探り当てていたのだ。
リンダウも長崎近郊の農村での経験をこう述べている。私は「いつも農夫達の素晴しい歓迎を受けたことを決して忘れないであろう。火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、直ちに男の子か女の子があわてて火鉢を持って来てくれるのであった。私が家の中に入るやいなや、父親は私に腰掛けるように勧め、母親は丁寧に挨拶をしてお茶を出してくれる。
……最も大胆な者は私の服の生地を手で触り、ちつちゃな女の子がたまたま私の髪の毛に触って、笑いながら同時に恥ずかしそうに、逃げ出して行くこともあった。幾つかの金属製のボタンを与えると……『大変有り難う』と、皆揃って何度も繰り返してお礼を言う。そして脆いて、可愛い頭を下げて優しく微笑むのであったが、社会の下の階層の中でそんな態度に出会って、全く驚いた次第である。
私が遠ざかって行くと、道のはずれ迄見送ってくれて、殆んど見えなくなってもまだ、『さよなら、またみょうにち』と私に叫んでいる、あの友情の籠った声が聞えるのであった」。 「逝きし日の面影」より |